「障がい」を考える小委員会

 

このホームページは、すべての者が、主イエスが与えてくださった愛に生かされるために、そして、生きて行く上で、それぞれの「障がい」を理解し合うために、諸教会が実際に行なっておられる取り組みやアイディアをこのホームページで分かち合えることを願い作成されました。

「障がい」に関して、よりよい取り組みやアイディアがあるという方は、メールでお知らせください。

また、このトップページの後半には、「障がい」に関するエッセイ等を随時載せていきますので、ご覧ください。

第7回 全国交流会 津田望先生の講演PDFをアップしました。ご覧下さい。2021/10/12

第7回「障がい」を考える全国交流会講演

第6回「障がい」を考える全国交流会HP

第5回 全国交流会 二宮アキイエ先生 講演抜粋を アップしました。 2018.8.22

メールアドレス shogai-c@uccj.org

 

 日本基督(キリスト)教団 「障がい」を考える小委員会

 委員長:小林克哉(札幌教会牧師)書 記:徳田宣義(桜新町教会牧師)

 委 員: 小友睦 (二戸教会牧師) 田中文宏(名古屋桜山教会牧師)

     杉本園子(高知教会信徒

 幹 事:大三島義孝

便利なアイテムの紹介~ 礼拝の説教が聞き取りにくい方への便利なアイテム ~

礼拝の音声をFMラジオで聴く~FMトランスミッター 詳細は→

高齢者、障がいのある人、病者のための電話礼拝の紹介 ~南大阪教会での取り組み~

 ~エッセイ~

「100のうちの一つがわかっただけでも」(マルコ4章8~9節)   小友睦

 「牧師せんせい、説教がわからないのだけど、わからない自分がだめなのか」「みんなはわかっているのに、なぜ自分はわからないのか」「神さまはどうしてこんな自分にしたのか」と自分を責め、牧師にどうすればわかるか、くって掛かる。日曜日の夜に電話が来ます。日曜日はいろんな集会、交わりや会議もあり、正直へとへとになります。初めはドキッとした気持ちになりますが、それでも答えます。「いぜんも話したけれど、他人のことをぜんぶ知っていると言える人はいるかな。それは神さましかいないと思うのだけれども。牧師の話はぜんぶわからなくても、100のうち一つに気が付けば、それでみ言葉にそれだけ近づいたのだよ。」と。「で、ちょっとはわかったことはあったの?」。「うん、あった。」。「じゃ、わからないというのではなかったのね。」。すると、怒ったような言い方が変わり、「はあ」と息を抜いた、ほっとしたような言い方に変わりました。「100のうちの一つをわかろうと、ずっと考えていたのですね。」。「じゃ、一つわかったことが100回続けば、ぜんぶわかるのですね?」。答えるのに少し詰まりました。すると「100回続けてみようかな。」。「一粒の種が100倍になる。それを信じて続けてみよう。」。続けて「張り切り過ぎないように」と言おうとしていましたが、心の中に留めました。お互いにそうして落ち着くようになる。そんな電話でのやり取りが毎週のように続いています。今度の日曜日はどういう質問を掛けてくるか。それも想定して、メッセージを考えます。それでも手ごわい質問が来ます。それも一粒の種が何倍にも広がった証しなのかも知れませんね。

 

「値高く、貴く」                          小林克哉

 牧師をしているといろいろな方との出会いが与えられます。広島の呉にいた時です。
教会に中途失明した女性がおられました。原爆直後、広島に家族を探しに行き二次被ばくしたことが関係しているかも、とのことでした。日々聖書や説教の録音を聞き熱心に祈っておられる方でした。「先生、何のご奉仕もできなくて申し訳ありません。」とよくわたしに言われました。
高齢になり独り暮らしができなくなると、教会の近くにあった介護施設に入所されました。日曜日の朝、教会員が車で施設に迎えに行き、車椅子に乗って礼拝に出席されました。
「みなさんによくしてもらうばかりです。」本当は違いました。障がいや老いをかかえながらも忠実に礼拝に来られるその姿に、教会のみんなが励まされていたのです。
わたしたちが生きている社会は人やものの価値を何によってはかっているのでしょう。その人は何ができるか。どんな役に立つか。他と比べてどうなのか。有用性や実用性に価値を求め、生産性により評価するように教え込まれ、それが当たり前のことになっているかもしれません。
「○○さん、いつも祈っていてくださりありがとうございます。何の奉仕もできないなんてことありません。礼拝に来てくださるだけでどんなに嬉しいか。神さまがどれほど喜んでおられることでしょう。」
障がいや老いを経験し、他の人に比べて何もできないし、お役に立てないと言われるその方の<存在>が、教会のみんなにとって貴く慰めだったのです。
「わたし(神さま)の目にはあなたは値高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。」(聖書・イザヤ書第434節)
聖書は、わたしたちが生きている社会が当たり前だと思っている価値観とは違うことを語っているようです。「たとえわたしたちが祈ることさえできなくなっても、神さまの愛に変わりはありません。イエスさまが十字架でわたしたちの身代わりとなって死んでくださったほど○○さんは、神さまにとって値高く貴いのですから。」
「先生、本当に感謝ですね。」 神の平和と喜びがそこにいる者たちを包んでいました。


「神の業がこの人に現れるため」

41総会期委員 大坪 直史

「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」(ヨハネによる福音書913節)
「生まれつき目の見えない人」をめぐって、イエスさまと弟子たちの間に問答が交わされました。
弟子たちの問いは、当時のユダヤ教の因果応報の考え方に基づいています。つまり、目が見えないという障がいは、本人あるいは両親(先祖)が罪を犯した結果であると考えたのです。この考え方に立つと、障がい者は、全く消極的な考え方をもって、自分が生まれる前の罪を悔いるか、自分を産んでくれた愛すべき両親の罪を責めるか、憎むか、しなければならなくなってしまいます。
残酷な問いに、イエスさまは答えられました。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」イエスさまは、本人の罪や、その両親の罪を責めるような、因果応報の考え方を否定され、目が見えないのは、「神の業がこの人に現れるためである」と、つまり、神の御業がその人を通して行われるためであるとおっしゃったのです。それは、過去を振り返らせて絶望させる考え方ではなく、将来を見つめさせて希望を抱かせる考え方、極めて積極的な考え方です。この後、イエスさまは目の見えない人のために泥を作り、その人の目に塗り、シロアムの池で洗わせることによって、その人の目を見えるようにしてくださいました。御言葉通り、神の業がその人に現れたのです。
私は少年期に思いがけず髪の毛を失いました。少年期は坊主頭が理由でいじめに遭い、心身に暴力を受け苦悩しました。青年期も自信が持てず絶望に苛まれる日々でした。私は神に「なぜ」「どうして」と問い続ける日々を送らざるを得ませんでした。
しかし、髪の毛を失って、初めて知り得ることがありました。また、教会に通うようにもなりました。そして、私は御言葉と出会い、何よりイエスさまと出会うことができたのです。
時に、私たちの身に、受け入れ難く理解し難い、不幸と思われる出来事が訪れることがあります。そんな時、私たちは、「なぜ、こんな目に」「どうして、こんなことが」と、悲痛な叫びにも似た問いを発しないではいられません。しかし、私たちの目に不幸と映る出来事も、イエスさまの御目には神の御業が現される機会と映るのです。イエスさまは、その人の身に起こることを通して、神の業が現れる輝かしい将来を指し示されるのです。目の見えない人は、イエスさまの御言葉に従って闇から光へと、イエスさまへの信仰へと導かれたのです。私も、この信仰へと導かれました。
イエスさまが癒してくださるのは視力だけではなく神と人との正しい関係です。イエスさまは、その人の罪や両親の罪を責めることはなさらず、ただ十字架と復活の御業をもって、罪の赦しと永遠の命をもたらしてくださるのです。
障がいが与えられた方も、そうではない方も、すべての人がイエスさまと出会えますように。そして、輝かしい将来の希望に、永遠の命に救われますように。皆さんを通して、神の御業が現され、神の御栄光が輝かされますように。

「キリストは、あなたを望まれるからこそあなたに生をお与えになったのです」

杉本 園子

 このことばは、『マザー・テレサのことば』という小さな本に書かれていることばです。マザー・テレサをみていると、現実に神様がみえてくる感じがします。このことばは、受洗後間もない大学生の時に、出会ったことばで、私の生を支えてきました。
私が聖書に出会ったのは、浪人中でした。私は、何のために生まれ生きていくのかを見出せず、闇をさ迷っていました。そんな中「神は愛である」という聖書のことばに出会い、神様と出会い受洗しました。でも、神様の「隣人を自分のように愛しなさい」というご命令を実行することができません。こんな私は生きていていいのだろうかと苦しんでいた時に、このことばがぐっと私の中に入ってきました。それは、神様からの私への語りかけでした。「キリストがこんな私を望まれた。私は生きていていいんだ。」「神様の道具となって生きていくことができたらどんなに素晴らしいだろう。」と思いました。現実は、人を愛せない自分に直面させられることばかりですが、そんな自分でも神様は愛して下さっているのだと思えるようになりました。
卒業後、「心に痛みを持つ人に仕えるために精神科病院で働いている。」というクリスチャンの先輩臨床心理士のことばに導かれ、自分も同じ臨床心理士として精神科病院に就職しました。患者さんは優しくて、職員の方が怖かった思い出があります。37年程、カウンセリング等を担当させて頂いていますが、病気となり、様々な痛みを持ちながら生きている患者さんの姿に、励まされながら生きてきました。
だれでも、病気になったり、障がいを持つ可能性があります。障がいがあってもなくても、誰からも愛されない飢え、孤独、必要とされていないという痛みが、最も辛いことだと思います。イエス様とともにいて、イエス様が、私達を通して、働いて下さいますように。

 

「生きる力を学ぶ場所」                       徳田 宣義

 私の父は牧師として教会に仕え、母はモッテソーリ教育を導入しているキリスト教主義幼稚園の教育の中心を担っています。幼稚園のクラスは、縦割りで、3,4,5歳の子どもたち、そして特別な支援を必要とする心身に障がいを持つ子どもたちが在籍しています。障がいを持つ子の中には、多動な子、自分の力で歩けない子、パニックになってしまう子等がいます。教室の中では、助け合いが起こり、揉め事が起こります。私の両親は、障がいを持つ子どもたちの成長する姿を、10代だった頃の私によく話して聴かせてくれました。
いつしかその話の中に、共通していることがあると気が付くようになりました。障がいを持つ子どもの特性の理解、適切な援助、大切にされている体験、保護者への支援、そして、教室の友だちが、やがて障がいを持つ子どもの気持ちを感じ取るようになり、互いの立場を認め合いながら、具体的な関わりをとおして上手に助けてあげられるようになっていく。障がいのある子どもたちを受け入れる統合教育をとおして、障がいのある・無しに関わらず、互いに学びあい、共に成長していく。そのような道を辿るということです。深い関わりによる豊かな体験の中でこそ、人は神に造られた人間らしい姿へ成長していくということになるのだと聴く度に思わされたものでした。
あれから時が経ち、ペンキの塗り替えを手伝った古い幼稚園の門扉は新しくなり、小さな教会は広い道に面した場所へ移転し、幼稚園の園長も父から私の弟へと代替わりしましたが、幼稚園の通常クラスに、障がいのある子どもたちを積極的に受け入れる統合教育は今も続いています。かつてと同じように、障がいがある子も、そうでない子も、互いに育ちあっている、本棚を整理した際、偶然発見した弟の文章がそう語っていました。
……発達の特性を持っている子がいるからこそ周りの子どもや教師、親、周りの保護者など多くの人たちが変わっていく姿に何度も遭遇してきました。特別な支援が必要な子、そうでない子に関わらず一人一人の個性が尊重され、多様性の中から子ども同士で『調和』を生み出し、そのような『調和』から『平和』を生み出す子どもたちの偉大な力に感動させられます……」(徳田諭「幼稚園紹介~大切にしているもの~」『京都コースからのてがみ 第75号』京都モンテッソーリ教師養成コース、2017年)。
私たちは、生きています。たくさんの人々と出会います。子どもにとって大切なのは、どんな人も神に命を与えられた掛け替えのない存在とされる場所であり、多種多様な子どものいる環境です。柔らかな心を持った子どもたちが増えていくことは、様々な人と補いあっていける社会へ、子どもたちと一緒に世の中が成長していくことだと心から思うのです。
なんでもかんでも知った気になってしまう情報の時代を生きています。同調圧力が日本の社会を息苦しくしています。だからこそ、障がいのある・無しを含め、多様な人々がつながっている教会の存在が無くてはならないことに気が付かされます。教会は、神によって命を与えられた人間らしさを取り戻せるただ一つの場所です。神がくださる隣人を自分のように愛そうとする心こそ、感受性の欠如した世界に風穴を空け得るのだと心から信じます。

 

「人は皆、神様の栄光を現す器」

4041総会期委員 北村 智史

「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」 (ヨハネによる福音書913)  

 先日、真ん中の子どもに重度の障がいを持つある母親の手記を読みました。彼女はこの手記の中で、この真ん中の子どもについて、「この子の人生は、一体何なのか。人間としての喜びや悲しみを何一つ知ることもなく、ただ空しく過ぎてゆく人生など、生きる価値もないではないか」と考え、一緒に死のうとした日々があったと告白しています。けれども、ある時、長男が「お母さん、由紀乃ちゃん(※真ん中の子どもの名前)は、顔も、手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家のみんなの宝物だもんね」と言って、真ん中の子どもを頬ずりするのを見聞きして、彼女はハッと気付かされたと言います。人の命を役に立つ、立たないという一つの物差しだけで計っていた自分の愚かさを。「絶対者の目から見たら色々な見方がある。私たちの一つの都合の目で見ても、しょせんそれは絶対的なものではないのだ」ということを。「人は存在そのものに意味がある」というこの事実に、彼女は気付かされたのでした。 彼女のこの気付きは、今の私たちにとってとても大切です。あの「津久井やまゆり園」の事件を起こした犯人は、「障がい者は役に立たず、精神的にも肉体的にも経済的にも、周囲の者に、また社会に負担をかけるだけの存在だ。そんな障がい者は安楽死させるべきだと考えて犯行に及んだ」といった趣旨のことを語っていましたが、世の中に切り捨てられて良い人など、誰一人として存在しません。能力とか、そういったものに関係なく、神様にとってはすべての人がかけがえのない大切な存在であり、この上なく愛しい存在です。先程の母親の話が示してくれているように、私たちは人の命を役に立つ、立たないといった一つの物差しだけで計ることはできません。神様の目から見れば、すべての命が御自分の栄光を現すかけがえのない器なのです。 イエス様は今からおよそ2000年前に、障がい者について、「この人がこのようになったのは、神の業がこの人に現れるためである」と言われました。私たちは、たとえ聖書に書かれてあるように奇跡的な力で障がい者が癒されなくても、その人の命を輝かせる「神の業」が確かにその人の上に現れていると信じます。けれども、神様のその業は、人の命を役に立つ、立たないといった物差しで計ろうとする目では決して見ることはできません。「人は存在そのものに意味がある」、「人は皆、神様の栄光を現すかけがえのない器である」。このことをいつも忘れずにいたいと思います。

 

「主イエスと出会う」

394041総会期委員 竹村眞知子 

 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」 (ヨハネによる福音書42526節)
 イエス様はユダヤからガリラヤへ行く途中、サマリアのシカルの町にあるヤコブの井戸に着き、そこに座っておられました。そして水を汲みに来た女性に「水を飲ませてください」と言われました。イエス様と女性の対話が始まります。その対話の中で、彼女の心に少しずつ変化が起こりました。彼女の閉ざされた心は開かれ、イエス様のことを知らせるために、急いで町へ引き返して行きました。ここでは、目に見える具体的な変化は何もありません。彼女の家のそばに泉が湧き出たのでもなければ、彼女が共に暮らしている男性が正式の夫になったのでもなければ、町の人から温かく受け入れられたのでもありません。イエス様が、彼女の満たされない、渇ききった心に向き合われ、彼女の心に「永遠の命に至る水」を与えられました。 私の夫は躁鬱病とアルコール中毒で精神障害2級です。また難聴による身体障害4級です。彼はアルコールを飲んで倒れ、死の直前まで行った時、主イエスと出会いました。アルコールを飲まなくなって32年、躁鬱病も14年前から飲み始めた薬により、入院していません。けれども、躁鬱病とアルコール中毒そのものが治ったのではありません。その他にも、いくつかの病気を抱えています。主イエスと出会っても、病気は癒されません。しかし、彼はアルコールに逃げる者から、自分を受け容れることができる者へと変えられました。主イエスと出会うことによって「永遠の命に至る水」を与えられ、渇きが癒されたからです。
 問題や悩みが解決すること、病気が癒されることは一時的な救いにはなるでしょうが、永遠の救いにはなりません。ただ一つ、主イエスと出会う。この事実が夫の人生を変えました。

 

「私も傷ついた癒し人」

4042総会期委員 小友 睦

 私の仕える教会は自然に囲まれて、休日は(時には休日外でもこっそりと)山登りをします。自然の中で色んなことを考えます。それは現実逃避と思われるかも知れません。でもこういう中で育った私には心のリセットとリハビリの時です。私の仕える教会はこの地域で教会と教会員が幼児保育としょうがい者自立支援をしています。そういう事情もあり精神しょうがいの方がいます。この地で教会に長く暮してきた方でも心の病で日々苦しむのです。それは霊的な渇きでもあるのです。「深夜はダメですよ」と念を押しても電話で、ヨナのようにぶちまける方もいます。そんな方に聖書の説明だけでは平安に導けない。できる限り誠実に向き合おうとしますが、時には怒って言ってしまうこともあります。ある精神に病をもつ方に「神様はあなたをいつも愛されていると言うけど、どうして私はこんなに辛くならないといけないのですか」「神様は私のことなんてなんとも思っていない」「もう生きる意味は無い。死にたい」と延々と不満をぶつけられました。私は聞くしかありませんでした。返す御言葉が思い付かず、とっさに「あなたはそういう渇きを神様にぶつけられるほど神様と向き合って来たのですね」「そういうように神様と直接対話できるあなたは私にはない、とても勇気をもっているんですね」「そういうあなたこそ神様は捉えていて離さないことが私にはうらやましくもあり、誰よりも神様に近いんだよね」と言いました。すると「私はノーベル賞を取るまで神様から離れないと約束します」、私は「その道は大変かも知れない」、すると「死ぬまで頑張ります」、「でも死んだらだめだね・・・」それまでは緊張の時でしたが和やかな会話になりました。その言葉を聞いて、私自身が心傷ついていたのを、ここに来てほんと良かったと思いました。正直言うと、説教ができず、悩み考え込んでいる土曜の夜に電話で何度も中断されるのは、牧師にとっては我慢の限界を超えます。でもそこで(自然の中で)冷静になって振り返ると、ただ聖書の文言や教理を理解することに時間を費やすよりも、現実に生きる人々との交流、対話の中から、寧ろ目の前にいる人に語るに相応しい言葉が発見されることに気付くのです。神は人の予想や常識を超えた方法で御業を示される。改めて「荒野でエリヤがカラスから食べ物を与えられた」出来事(列王記下1726節)を思い知らされました。

 

「土の器に納められる宝」

3940総会期委員 吉澤 永

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」 (コリントの信徒への手紙二 4章7節 )         

 私は父が牧師で、教会で生まれ育ちました。父は福音を語り、弱い人に仕え、奉仕するために勤しんでいました。母も父と一緒に教会に仕え、祖父の介護をして、同時に、子育てをしました。しかし、家族には次々と試練が襲いました。 私は2歳の時、生死の境をさまよい、九死に一生を得ました。病気ばかりをして母はつきっきりで私の看病をしました。元気になったら交通事故に遭い、小学校の入学式にも出られませんでした。兄は父からの期待に応えようとして、無理に無理を重ね、心も体も壊れてしまいました。はっきりとした病名はつかないけれども、何も出来ない日々を過ごし、ひたすら自殺だけを踏みとどまる歩みを強いられました。
姉は学校でいじめに遭い、不登校になり、家にひきこもりました。その後、統合失調症による幻覚や幻聴に悩まされ、10年以上も精神病院に入院しました。精神障がい者として歩み、同じ苦しみを持つ人と出会い、支え合いながら歩んでいます。母は、教会の奉仕のために疲れ果て、教会の行事のおやつを、寝たきりの信徒の家に運ぶ途中に、バイクの運転を誤り、交通事故に遭いました。退院後も様々な症状に苦しみ、身体障がい者認定を受けたのは事故後8年を経過していました。
 こうやってならべると、不幸なことばかりが起こった家庭に見えます。しかし、だからこそ、私たちはイエス様が共にいて下さる恵みを分かち合い、福音による救いに寄りすがって、日々を生かされています。それぞれに弱さを持った土の器に、福音という宝をイエス様が与えて下さることで、希望を持って歩めることを感謝しています。

 

「色づいた畑」

383940総会期委員 森田恭一郎

「あなたがたは『刈り入れまでまだ四ヶ月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。ヨハネ福音書43536 「刈り入れまでまだ四ヶ月ある」この言葉を聞いていろいろな受け止め方があり得ると思います。この畑はまだ収穫できないとがっかりすることも、あと四ヶ月頑張ろうと自らを励ます気持ちになることもあるでしょう。主イエスは「色づいて刈り入れを待っている」とこの畑をご覧になります。 生まれた時から手足に障がいがあるT君がいました。小さい時から教会に来ていました。保育園では周りの友だちとハイハイで競争すると一番早く走れました。プールでも泳げるようになりました。親御さんの働きかけもあってふつうの小学校、中学校に通いました。青年になって障がい者のスポーツ大会に出るようになって、教会のわたしたちに彼が話してくれたことがあります。「僕は障がい者だったんだね。」自分の手足が事実として他の子と異なっていることはもちろん小さい時からわかっているのですが、「障がい者」という視点で自分を見ることはありませんでした。これまであるがままの自分の姿を受け止め、伸び伸びと自分らしく生きてきたわけです。 主イエスにとって、T君のあるがままの姿は色づいている畑の光景です。色づいている!「わたしが十字架にかかって罪を贖う以上は、君は輝くばかりに色づいているのだ」とイエスの十字架への御決意が伝わってくるようです。続く37節で「一人の人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」のことわざを主イエスは引用しておられますが、主イエスおひとりこそが十字架でご自身の命という種を蒔いてくださいました。その十字架の恵みを受けて実った実りを刈り入れるために、主イエスは弟子たちを遣わします。弟子たち(後の教会)は、主イエスのご覧になる光景を一緒に見上げながら、人々を色づいている畑として見守るように招かれます。そして見守られながら、T君も目を上げて輝いて色づいている畑を見上げ、自分をそのように見出しながら成長したのだと思います。end