知的障がいを考える

 <「知的障がい」とされる人たちとともに>

        ~「知的障がい」のある人つてどんな人~

 

「知的障がい」とは?

 一般に「知的障がい」とされる人は、胎生期、周産期、乳幼児期において、何らかの原因により脳内にダメージを受け、知的活動の面でハンディをもつことになった人たちです。理解力や半J断力においてはハンディがあっても感受性は豊かで、交わりの中で大切に育まれることで、魅力ある人として成長することができます。

理解力の面でハンディがある

 理解力のレベルは色々です。(知的障がいのある人に限つたことではありませんが。)難しい言葉はすんなり理解しにくいのは誰でも同じです。(礼拝説教が難しいと感じる人は案外多いのではありませんか。)

 分かりやすく伝えると理解できます。どうすれば「分かりやすく」することができるかが課題です。視覚的なツールを使ってみると分かりやすいことも多いです。

判断力の面でハンディがある

 私たちがものごとを判断するには、色々なことを総合的に考えて、先を予測して判断するのですが、「いろいろなことを一度に考える」「目に見えない先のことを予測する」のが苦手です。結果的に適切な判断をするのが苦手です。また、十分に考えずに行動してしまうこともありますので、そのことで危険こ遭遇しないよう、また著しい不利益をこうむらないよう周囲で配慮することが必要になります。

知的障がいのほかに他の疾患、症状をあわせもつ人もいます。

 てんかん(けいれんなどの症状がなくても)、自閉性の強い人、気が付かないところで体の一部にまひのある人などには、知的障がいに合わせてこれらのことへの配慮も必要になります。

年齢相応の対応をしましょう

 あたり前のことですが、たとえ知的障がいがあっても、その人の年齢相応の関わりをしましょう。障がいがあってもなくても、大人の人に対して子どものように対応するのは、やはりどこか変な感じがしませんか?

教会の交わりの中で育みましょう。

 知的障がいのある子どもたちも、教会の交わりの中で育みましょう。そのことによつてご両親も精神的に支えられ、家族の愛情の中で子ども自身の心が豊かに育ちます。知的障がいのある人は、素直なものの考え方をする人が多いので、仲良く接するうちに彼らの人間性に安らぎを感じる人が少なくありません。