第5回 障がいを考える小委員会 全国交流会 二宮アキイエ先生 講演 抜粋

日本基督教団第5回「障がい」を考える全国交流会 講演抜粋(文責は当小委員会書記、森田恭一郎)。 

日時 2016年10月3日‐4日 場所 東京・早稲田 戸山サンライズ

講師 二ノ宮・アキイエ氏 

講師紹介 二ノ宮・アキイエ先生。国籍はカナダ。父が日系カナダ人で日本の法律ではカタカナ表記にしなければならない。カナダメソジスト合同教会の宣教師として日本基督教団に派遣され、日本基督教社会事業同盟や神戸聖隷福祉事業団にてご奉仕され、現在はこの所長として主にタイで勤務。阪神淡路大震災や2005年タイでの津波を経験。

 

 講演Ⅰ「聖書から見る、国連障害者権利条約」

1. 国連の「アジア太平洋障害者センター」(APCD)の紹介と設立まで

 私の宣教は、障がいを持った方々が、この世の中を良くしていく宣教である。日本を離れてからは、日本の国際協力機構ジャイカから、タイ政府と連携をして国連が推薦するアジア太平洋障がい者センターの設立と運営を任務として2002年派遣された。私は最初に、障がいを持った人たちを中心に国際機関を作った。

APCDについては、日本が国連人権条約を批准した時に日本政府代表の吉川大使が、国連の会議場でスピーチされた所から紹介する。「世界の人口のおよそ15%およそ10億人が障がい者であり、その80%が途上国で暮らしている。日本は、これらの途上国に対する国際協力において人材育成・技能訓練・意識啓発など地域に根差したリハビリテーションの広い分野に重点的に取り組んできた。一つの例としてタイのバンコクに設立されたアジア太平洋障がい者センターを挙げたい。2002年に我が国が同センターへの支援を開始して以来、アジア太平洋地域の30か国以上の国から1600名以上(その半数以上が障がい者)が研修を受け、研修後には彼ら自身のイニシアティブを展開した。例えば、知的障がい者自身が、知的障がい者の問題やその解決策を議論するワークショップを開催し、このような活動により後にタイの知的障がい者による初めての本人のグループが立ち上がった。その後、同グループの課活動はミャンマーやカンボジアに広がった。」

 APCDが立ち上がることになったのは、それまでは障がい者を助ける働きや国際活動があったが、障がい者が世の中を良くするという国際機関はなかった。それで、自分たちのことは自分たちでするという団体を立ち上げた。障がい者たち自身が、自分たちの声を世界に伝えようとして、国際障がい者年である198112月にシンガポールで第1回総会を開き、DPIDisabled Peoples International 障がい者権利擁護センター)という国際団体を結成した。国会議員の八代英太氏がアジア太平洋の日本の代表者になり、私は事務局の責任者になった。その時決まったモットーが「我ら自身の声を」である。

1983年から1992年までの国連障がい者の10年の宣言採決があって、完全参加と平等というテーマで10年間国連を中心に障がい者の活動をした。10年近く経ち、アメリカや北米や欧米の先進国がアクセスを改善したり、法整備をして恩恵を受けたが、世界の80%の障がい者たちは全く恩恵を受けなかった。翌年、北京でアジア太平洋の総会が開かれる時に、日本政府と中国政府と連携して「アジア太平洋の障がい者10年」の提案をして総会議員全員で採択をして、1993年から10年間が始まった。その10年が終わる1年前に、国際障がい者関連団体の人たちが、このまま10年が終わったら我々は開発途上国の者は何の恩恵も受けていないから、アジア太平洋経済社会委員会のあるバンコクにAPCDを作って欲しいと要望書を出した。このように障がい者の方たちの様々な声が出て来て、地域に根差したインクルーシヴな、みんなが住み良い地域・社会を作るということが芽を吹き出して、20028月に設立された。

 

2.国連障がい者人権条約の実践例

これまでアジア太平洋障がい者センターで、40か国2500人以上の研修生を出してきた。北朝鮮、イラク、イラン、アフガニスタンから来た研修生も受け入れている。障がい者は、障がいがあるゆえに地域で生活しにくいことをよく知っているから、彼らは専門家である。当初は、移動障がい者の方たちのアクセスビリティ、建物、交通のアクセスの研修を主にした。視覚障がいの方にはコンピューターコースを5年間して、250人以上のアジアのリーダを育成した。コンピューターを用いてのマスターになったり、仕事ができることがかなり普及した。

APCDの本部職員は、私がいる間、全員クリスチャンだった。困っている時には、神様は必ずそういう人を配置してくれることに感謝。ちなみにタイは仏教国で、APCDが良い働きをし、国際的にも認められるようになると、タイ国王の理解もいただいて活動している。知的障がい者のためのプログラムが始まって、タイで初めての自助団体ができた。またラオスでもミャンマーでもベトナムでも始まった。その後、自閉症の方々の自助団体を作り、ASEAN10か国での自助団体のネットワークもできたた。今は精神障がい者の自助団体を作ろうとしているが、なかなかむずかしい。タイでは精神障がい者は、本人が出て来ない。交渉しているが、家庭も本人を外に出そうとしない。そこで人権という用語は使わずに、スポーツとか言えばいい人もいる。201710月に精神障がい者のスポーツ大会を計画している。2017年はタイ日修好130年、ASEAN設立50年なので、タイ・バンコクででインクルーシヴスポーツ大会をする。自閉症の方と精神障がい者本人が出場できる。そこを突破口にして団体を作り、外務省の外郭団体ジャパンファンデーションやジャイカなどが応援して、協力事業を進めている所である。

 アジア太平洋の障がい者の10年が終わり、APCDができて第2次アジア太平洋10年ができた時、国連文書でアジア太平洋障がい者センターは、国際機関として認められた。障がい者の指導者の養成、そしてインクルーシブなバリアのない社会を作ることを推進する。それが終わり、今度は2013年から2022年までの第3次の障がい者の10年ができた。APCDが提唱してきたDisability Inclusive Business、これからの住み良い社会を作るためには政府だけでは限界があって、地域コミュニティーの中で一番影響力を持つビジネスセクターの方々に、インクルーシブなビジネスを推進する。APCDは障がい者に優しい製品を作りサービスを提供し、障がい者の雇用を推進することを書いている。

実は201512月、タイのヤマザキと連携してパンを作り始めた。タイ王女の60歳記念のパンを作ることにした。タイの首相も所信演説のテレビでAPCDがしているベーカリーは素晴らしいと、障がい者が皆さんに美味しいパンを作ってくれると語られた。今22人の障がい者が仕事をし、精神障がい、知的障がい、自閉症、ろうあ者、移動障がいの方たちがパンを作り、販売することが上手になっていくと、85店舗に移していく。そして毎年1020人の雇用をし、小さな店舗だが、そのようなことを重ねながら企業との連携を目指している。

そしたらタイの日産モーターが申し出てきて、日産と組むことになった。障がい者に優しい車をということで、今年82週間、ミャンマー、カンボジア、タイの知的障がいの人たちをAPCDにお呼びし、芸術ワークショップをした。絵を描いたり粘土をやったり楽しいことをした。専門の写真家が撮影して、カレンダーを一万部作り、ラオス、ミャンマー、カンボジア、タイに配布する。そこに日産などのスポンサーや障がい者団体のロゴも入れて、知的障がいの方が世の中を良くする啓発活動をした。

今、国連の社会開発委員会のワーキング・グループがあって15の各国政府代表者と15の国際機関がメンバーの核になって、障がい者10年のモニタリングの提言をしている。毎年3月の会議の時に、APCDの報告もするが、国際人権条約をどう実践するか。アジア太平洋は世界人口の60%近い人口を占め、開発途上国が多い。ヨーロッパの人たちはアフリカを見ていて、アフリカのことは詳しいが、アジアのことは分からない。同様にアメリカは中南米を見ている。アジアはヨーロッパ言語を使っていないから、欧米人は理解しにくい。

アジア太平洋地域では10の目標を作っているが、その一部を紹介する。

目標1:貧困の削減と障がい者の雇用促進

障がい者が参加する事業は利益が上がるということを教えている。実に障がい者を雇ったヤマザキは、全店舗の売り上げが2%上がった。大家族制である国々では、障がいのある家族のいる人たちは、ヤマザキは良いことをしているから買いに行こうと、売り上げが上がる。日産もAPCDと組んで「障がい者に優しい日産」ということで、売り上げが上がる。企業も良くなって、障がい者の雇用だけではなく、障がい者に優しい車、製品を作る、障がい者に優しいサービスを提供する。店に行くと大体、カウンターにいるのは聾唖者が多く、手話で行う。精神障がい者や自閉症の方々は、売り込みをやっている。店に来れば、障がい者が美味しいパンを売るということで、イメージチェンジをし理解が深まる。

日本政府がASEANに「日本-ASEAN統合基金」を設立し拠出した。この基金を使って農村地帯の市場=マーケットをアクセスしやすくしてきた。高齢の人も身体の不自由な人もマーケットに行けるし、そこで肉や野菜を売るようになった。収入ができたと同時にアクセスができ、障がい者が参加するマーケット活動を推進している。先週はインドネシアでASEANの社会福祉相の会議があり、ふるさと地方創生事業(ホームタウンクリエーション)、高齢者・障がい者に優しい町・村作りを進める。将来ASEANを貫通しインドを抜け、ヨーロッパに向かう幹線道路ができて、関税をなくして物が動くようになったら、道の駅を作ろう。幹線の主要な所を障がい者が中心になって活性化しようと考えている。障がい者がみんなの住みよい町を作るという構想を持っている。

目標2:障がい者が障がい者に関する法律や実践の決定機関に参加

障がい者が自分たちの声を出すために、ASEANの本部と連携をして各国メンバーの国々に、必ず障がいに関する法律や行政を思考する委員会に障がい者自身を入れることを要請している。タイはもちろんのこと、ベトナム、ラオスでは成功。ミャンマー政府と交渉して、進めている。

アクセスについては建物や交通だけでなく、情報のアクセスも大事。点字や手話は見出しだけでなく、内容も大事。たとえば知的障がい者が理解できる文章を作る。私たちはこの10年のESCAPのむずかしい国連文書をやさしく、絵と英語で作った。日本でも「好きな時に好きな人と好きな所で」という本を作った。国連の人権条約を特に知的障がい者が理解しやすいようにと書いてある。こういう仕事も連携してやっている。

ホテルやレストランやサービス業がバリアフリーをするとお客さんがたくさん来ますよ、高齢者、障がい者に優しいと事業が成功します、と推進している方もAPCDに来て手伝ってくれる。

目標3:フィリピンで会社作ってCaption(=字幕)誌を発行

全盲や車椅子の方々がcaptionistで、国際会議などをマニラで字幕を作る。それをインターネットでリアルタイムで出そう。特に視覚障害者が一番、字幕を作る人になる。

難聴者の多くは学校に行けず、手話ができていないので、字幕でやる。コンピューターでスクリーンに映し出して、コミュニケーションする。APCDで20か国の難聴者の会議をやった。アジア太平洋の難聴者協会ができた。

カンボジアが国連の人権条約を批准した時、フンセン首相を呼んで、三千人集まって自閉症の人と知的障がいの人たちを中心に、人権条約を認めて、特に知的障がいと自閉症の人達の施策を作るようにと運動して、5か年計画を作った。

精神障がい者の組織作り、彼らの声を挙げるためにアジアで、初めてその会議をした。特に権利条約19条「すべての障がい者は地域でみんなと同じように生活出来る権利がある」は時間はかかるが、障がい者人口の中で一番多いのが精神障がい者。私たちがタイの精神障がい者の自助団体を作る時、保健省に属している専門家会議に出て行き、我々を無視してやるな、私たちは患者なのだから患者の声を通してやるようにと言った。喧嘩してはだめなので、スポーツやりませんか。スポーツしたら医者が走るわけにはいかないので、当然本人が出て来なければならない。そういうやり方で徐々に進めている。

目標4 国際人権条約を実践している良い事例をインド、ネパールなど各国で事例集を作成

知的障がい者のタイで行った会で、私が一番印象に残ったのは、仙台から来られた方が「私は小学校を出て、入所施設に行き、40歳近くまでそこにいた。私はあまり話をしなかった。40歳を過ぎてから施設を出て、町で生活をした。最初はどうやって生活をすればいいのか分からなかった。でも今はインスタントラーメンが作れる。洗濯ができる。話すことできる。親も施設の人も、私がよく話すことを知らなかった。話す機会がなかったので」その方がぽつぽつと話すことが、素晴らしい。それが凄く影響して、今タイの知的障がい者がパン屋でとても頑張っている。

目標5:早期発見、障がいのある子どもの登校への取り組み

障がいのある子どもは、もともと学校に行っていない。彼らが学校に行けるようにしている活動。

バンコクでASEAN 10か国から集まって、ドラムフェスティバルを行う。タイにも伝統的な大きな太鼓があって、各国が大体ドラムを持っている。それを持ち寄って、日本・タイ修好120周年記念とASEANの50周年記念を3千人集めてやる。

目標9:障がい者人権条約の推進

APCDは各国政府に応援して人権条約推進しようという運動をしてきた。今ASEAN10か国全部が批准した。大事なのは批准した後、それをどうやって実践するかということ。その実例を作っていかないといけないので、今は市町村と連携している。北海道の市町村とタイの市町村が連携して、お互いに交流をして、障がい者がどうやったらみんなの住みよい町作りができるか、国際交流事業が今月末から始まる。

以上のように、障がい者がみんなと同じように生活する社会ができるための活動である。APCDが連携、アジア太平洋地域の難聴障害者協会、メコン川流域、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイの知的障害者の連携、10か国の自閉症の連携、アジア太平洋の地域に根ざしたインクルーシヴな開発のネットを作りながら、国連の人権条約の推進をしている。

 

3.イエス様の教え

アジア太平洋センターと国連障がい者人権条約の実践例を紹介したが、これを理解する時、実はキリスト教の価値観が人権条約の基本に入っている。「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイによる福音書2239節~新共同訳)。障がい者も、そうでない者も、同じ地域で同じ生活ができる、これが人権である。ラオスやカンボジアでエレベーターを付ける人はあまりいない。ラオス、カンボジアの一般の人が生活しているようにラオス、カンボジアの知的障がい者もいろんな障がい者も生活ができる。先進国は先進国の価値観で生きる。基本は「隣人を自分のように愛しなさ」。使徒パウロも「どんな掟(法律)があっても『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」(ローマの信徒への手紙139節~新共同訳)。国連の人権条約を読んでいくと、この聖書の言葉に尽きる。

 

4-1.「個人」を基本とするキリスト教価値観

人権条約は、個人を一つの単位としている。個人主義はキリスト教国の欧米から来ている。アジアでは家族が単位なので、これがなかなか開発途上国には理解できない。家族ぐるみの人権条約であっても、障がい者個人の権利を基本とする。

4-2.「障がい」は個人にではなく社会にある視点

国連人権条約のもう一つの視点は、障がいは個性である、障がいは神さまの恵みである、問題は社会にあるという視点である。社会がアクセスでないから、障がいが生まれる。私たちは今まで、障がいに目を向けていた。目が見えない、歩けない、聞こえない、そういうことに焦点を当てていた。そうではなくて、それは個性なのだから、目が見えない方が社会で不自由なく生活できるように、働けるように、知的障がいを者が不自由なく学校に行って、就職して結婚できるようにというのが、人権条約である。

4-3.「我々のことを我々抜きで勝手に決めるな」

そして我々のことを我々抜きで勝手に決めるな、Nothing about us, without us.  障がい者の尊厳、自己決定権、社会からの差別や隔離、孤立の防止を目指す。障がい者インターナショナルで私たちが作った、このスローガンが国連人権条約のスローガンに移った。ですからキリスト教徒が中心に作った障がい者インターナショナルの思想が、国連の人権条約の中に入っている。ただ組織なので、当初のキリスト教の基本的なものが時代の変遷と共に薄れていって、また違う価値観が入ってくる。日本にも「日本障がい者インターナショナル」があるが、当初とはかなり違ってきている。これは組織の運命である。

4-4.リハビリテーション思想からインクルーシヴ社会の構成へ

障がい者が障がいのない人のように訓練するリハビリテーション思想から、社会が障がい者を含むすべての人を受け入れるインクルーシヴ社会の構成が大事である。私が以前日本にいた時、九州のサリドマイドの女性は両手がなく、小さい頃から背中や首の筋肉で義肢を動かす訓練を受けて素晴らしいと紹介されていた。その方が大きくなって「私は小さい頃から20㎏の重たいものを持たされて、両手のある人のように行動することを強制させられた。私は手は要らない。私は足でお料理も出来る。車も運転できる。足で字が書ける。なぜ足で字を書いたらいけないのか。これは両手のある人の傲慢ではないか」と言った。これを30年前くらい前に聞いた。両手のある人が両手のない人に、両手のある人のように行動しろと言ってきたのがリハビリテーション。そうではなくて、障がいを受け入れてインクルーシヴの社会の構成を目指す。

4-5.国連障がい者人権条約には個の人権と、インクルーシヴな社会の開発の視点がある

国連障がい者人権条約には、人権のインクルーシヴな社会の開発、人権と開発の2つが入っている。インクルーシヴ教育の推進、特に国連ではSDGsustainable development goals)残存可能で維持できる国連開発学(去年大きな会議で決まった)。そして一番大きいのが貧困の削減。貧しい人達が貧しい中で死んでいく。これが非常に大事なので、社会開発の部分もしていくと、障がい者を囲む環境は人身売買の問題や人種差別の問題と同じ局面に入ってくる。皮膚の色やカーストや性が違うがゆえに社会で同じような生活ができない、もし私たちが自分のように、すべての人を愛していけば、それらの違いや障がいのあるなし、障がいが異なっても、同じ生活ができるようにという配慮が大事だという視点が、この人権条約の基本に入っている。

 

 

講演Ⅱ「聖書から見る障がい者法制と教会」

聖書から見て、自分たちの教会、あるいは宗教法人という組織、キリスト教学校、社会福祉法人の組織としてのキリスト教施設が、国連の定める人権条約をどのように実践していくかということを話したい。皆さんの属する組織を考えて、こういうことをしたい、という話をしたい。

 

5-1.信仰を基本とする教会

 マタイによる福音書423節からの聖書箇所、イエス様の宣教の基本がここにあると私は思っている。すなわち、神の国の福音を宣べ伝え、癒しの業をする。福音を伝えることと癒しをすることが一つとなる。

今で言う障がい者、身体、精神、知的、自閉症等々、イエスはこれらの人々を癒された。家族もいた。そして5章は「イエスはこの群衆を見て」山上の教訓は誰に言っているかというと、イエスに従った障がい者、支える家族。この人たちに、心の貧しい人たちは幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められると話された。

 実は東京に来る前、妻と死に物狂いでお祈りをした。ネパールのグルン族の女性は人身売買があって、男子はゲリラが支配していて一家族に一人兵隊を出させる。タイに死に物狂いで逃げて来て、不法滞在なので警察から逃げ回る。私たちの教会は、そのような、身寄りのない収入もない何もない不法滞在や難民の人たちがいて支えている。そういう行き所のない人たちは社会的障がいを抱えている。彼らも孤独・孤立で、将来もわからない。そういう人たちがイエス様によって救われる。障がい者も同じ。教会の熱心な働きになっている。

聖書をよく読んでいくと、癒しの業がかなり中心的な宣教の業になっている。日本の教会は説教が長くてむずかしい。すべての人にわかる説教か。兵庫教区にいた時にT教会に3人の知的障がい者を連れて行った。これからずっと来たいのですがと言ったら断られた。ここの説教はむずかしいので彼らが来ても無駄ですねと。車椅子は階段なので、毎回毎回上げ下ろしがむずかしいのでご遠慮くださいと。仕方なく、愛生伝道所を作ったが、教会でも区別、差別されている。

イエス様に従った最初の人たちは、実は障がい者だったということが多い。二千年前の障がい者たち、癒された人たちも、既成のユダヤ教から外されていく。そうではない。モーセの法律は神の愛を、自分のように自分の隣人を愛することを全うするためにあるのだろう。その本当の所を成就するために、その法律は罪があるとか、異邦人だとか、収税人であるとか、売春婦であったとか、いろんな差別を受けた方たちが、救われていくためのもの。ところが牧師一人ではつぶれてしまう。逃げ出したくなる。だからイエス様は12人の弟子を以て訓練なさった。12人の弟子の他に12人のグループが10あった。そういった人たちの組織をしている。これを大きくしないで12を一つの単位にしながら、その人たちが障がいを者たちや社会的障がいを抱えた人、孤立している人たちの救済にあたって、こういう人たちがイエス集団となってきた。

 ですから私たちはAPCDの職員を訓練し、障がい者たちと一緒に行く、そういう人材育成をしていることが今、功を奏している。一人でやるのではない。祈りが大事だ。祈ると聖霊の働きによって必ず、私たちの限界を超えて助けて下さる。経営しているといろんなむずかしいことが毎日起きているが、チャレンジだね、どうしたらいい?と職員に問いかける。そして励ますのが私の仕事。疲れていてもニコニコしながら良いことは褒めて、悪いことは何もやらない。そうしているうちに全体が明るくなってきて、前向きに行くと事柄が進む。そしてエネルギーが職員の中から出て来てエンパワーメントされて、それが私をまたエンパワーメントしてくれる。野に咲く花でさえきれいに飾っている。そこに存在していること自体がソロモンより価値がある。だから神奈川県で起きた事件では、何もできないから価値がないという産業革命以降の思想、経済中心の思想は人間の優劣を決めている。

教育制度も、知的障がいがあるのなら特殊学級に行きなさいということになる。アインシュタインでも、当時数学なら数学だけやることができた。それが歴史をやれ、音楽をやれ、そんなことするから、今、アインシュタインが生まれない。だから学問の平等というのも善し悪し。

自分の息子はアスペルガー、数学はよくできる。社会とか国語は全然できない。だから就職もできない。職場の雰囲気が読めないから、大学を2つ出ても、働く所がなくて、精神障がいを起こして、統合失調症になって、今は薬で治っているが、孤立が精神障がい者に起こっている。親の私も子どもと一緒にいないで、海外で仕事ばっかりしている。一番気がかりです。彼がいるから、毎日、祈りをしている。やはり家族の中で一番弱いところに心配が行く。だからパウロの手紙にあるように「体の一番弱いところを支えようとして体全体が調和ができる」

 啓明女学院の院長がおられた。「今度は知的障がい者を入学させた。心配していたのだが面白いことが起こる。知的障がい者の学生を中心に、クラスがまとまって来た。非常に良い雰囲気だ。障がい者を入れると全体が良くなることが分かった」と彼が言ってくれて、それから啓明は知的障がい者を入学させるようになった。障害のない子のために良い。素晴らしい話を聞いたた。それで私も、障がいは意味があると確信する。

これを確信しながら、神戸やベトナムで経験したことを受け止めながら、30年前に社会福祉の神学をカナダで書いて、教団で『社会福祉の神学―障がいを持つ人と共に―』を出した。あれは実はバンコクで実践しているだけの話である。日本ではできない。こんなに規則に縛られて、ガツガツの人たちで…。バンコクの人はおおらかで、いいよいいよと言ってくれるから自由にやって、自由にさせてくれる。ですから私は自分の書いた本の実践をしながら、いい成果を得ながら神様に感謝している。

5-2.社会組織としての教会

教会は2つの側面がある。神様の魂の組織と宗教法人としての社会的な存在の組織。社会的な存在の法人はやはり、日本の法律に縛られる部分がある。

建物、移動(交通)、コミュニケーションや情報、点字、手話、インターネット、説教、週報はアクセスになっているか、その他の配慮。教会員の障がい者に対する態度のアクセスがなっているか

教会の建物がアクセスブルになっているのか、足の不自由な人、車椅子の人がトイレを使えるのか。交通の問題でも、日本は移動のための公共バスなどが使えるようになった。

インフォメーション、コミュニケーションのアクセス。説教がみんなの人が分かるように、子どもが分かるような説教が一番良い。みんなが分かる。それから週報もちゃんと点字、あるいはホームページもアクセスブルなものになっているか。「好きな時に好きな人と好きな所へ」という「広げよう障がい者権利条約」。この本は知的障がいをお持ちの方の所で作ったもの。いろんなことの権利、これを知的障がいをお持ちの方が分かる言葉で絵をつけて書いてある。説教も、こういうふうにしたら自分も理解できる。それから手話とか、いろいろな形でコミュニケーションをしていく。宣教は言葉でする、そして癒しの業をする。言葉だけでもない、癒しだけでもない。一緒のセットにしている宣教であると考えたら、教会はやはり、インフォメーション、コミュニケーションのアクセスに配慮をしていくべきだ。

一番大事なのは、教会員の態度、人の態度、障害に対する正しい態度。これが一番むずかしいアクセス。

ASEAN本部の建物を建てるというので、幹部を集めて障がい者が障がい者に優しい設計をということで町おこしをしてきた。事務局長に、ASEANには障がい者は何人いますかと尋ねたら、申し訳ない一人もいない。これから雇う。雇わないとアクセスのある組織にならない。それでは日本基督教団の本部に障がい者が何人くらいいるか。国連が言うのは、15%。教団のアクセスに対する意識はかなり低い。障がい者が仲間にいれば、どうやってコミュニケーションしようかな、どう一緒に仕事しようかな、そこで態度のアクセスが出て来る。

キリスト教、イエス様の弟子たちは障がい者だから、半分くらいいても良いくらい。教団が祝福される。教会に何人いるか。そこにいろんな障がい者がいたら説教が変わる。教会の礼拝そのものも変わる。カナダに帰った時には、息子が行っているクリスチャンの所に行く。そこはいろんな教派の人たちが来ていて、アスペルガーでもあるがままに受け入れてくれる。障がい者も参加している。

障がいに関する正しい理解をするための研修をしているか、団体は障がい者雇用を推進しているか

実際APCDDisability Equality Training, これはイギリスで始まった、障がいに対する正しい理解をする訓練で、講師は原則として障がい者。障がいに対する態度、イメージが変わっていく。そういう研修を進めている。

いろんな障がい者も参加して、理解が広がる。車椅子利用者がショッピングに行ったら、階段が3段あった。どうしたら中に入れるだろうか。以前だったら歩行訓練をして車椅子を降りて、伝い歩きをすればいい、というリハビリテーションを考えたが、建物の構造を変えたらいい、というような事例をたくさん考える。手のない人は丸い取っ手だとあけられないが、横長のバーだと開けられるとか。実際ちょっとした工夫をするとできる。具体例を障がい者が言うと、建築家は理解する。そして新しい建築をする時に、ユニヴァーサルデザインにアクセスすると値段が2~3%高くなるだけで、設計に取り込める。アクセスしない建物を変更すると、大きなお金がかかる。設計する段階でちゃんとすればいい。

新しい教会堂を建てる時にはユニヴァーサルデザイン、障がい者の意見を聞く。障がい者が教会員にいれば一番いい。礼拝堂に入って説教が聞ける、教会活動ができるアクセスをする。聴覚障がい者には、ろうあ者教会がある。手話だけで礼拝している教会がある。インクルーシヴになっているなと。今までは障がい者が口話ができたらいい、という発想、そうではなく私たちが手話を習ったら良い。みんなが手話を習ったらみんながコミュニケーションできる。発想を少し変えて行ったらいい。手話のできない難聴者には字幕をつける。いろいろ考えながら牧師一人で抱え込むのではなく、教会員と一緒に、障がい者と一緒に考えるといい。イノヴェイティングな発想で物事の解決を進める。問題=チャレンジを共有して、みんなで力を合わせてやっていこうといポジティヴな所でチームワークができる。

人のつながりが大事。その人間のつながりのネットが若い人たちのリーソースになる。それをいかに用いて、協力して良い仕事をするかというのが、開発の仕事になる。この手法は、イエス様の伝道と同じ。また手紙を見ると、トルコやギリシア、いろんな教会が連携している。ネットの中でパウロの宣教もなされている。日本基督教団も教区・教団の全国の諸教会が、ネットの言葉と癒しとの両面のあったものになっていくと素晴らしい宣教になると思っている。私が日本にいた時には、日本社会事業同盟を中心に宣教していて福祉から入っていったが、どうしても福祉と教会の距離がある。あいつは福祉ばかりやっていて教会の説教何もしない、一方では説教ばかりしていて福祉を何もしない、と言い合うのではなくて、お互いに協力し合って、1+1をどうしたら3にしていくか、そして一人の人がエンパワーされてみんなの人が3になり4になるような、人材の育成していくこと。教会も教会員が高齢者になって、みんな視覚障がい、聴覚障がい、移動障がい、認知症が出て来る。新しい若い障がい者が出て来たり、家族もついて来たりする。

 

6.まとめ

イエス様の初期の伝道は、障がい者とその家族から始めていた。ここに秘密がある気がする。高齢化社会、それは当たり前のこと。神様から生を受けた時に、重度の障がい者としてこの地上に送られた。赤ちゃんは歩くことも、話すことも、食べることも、何もできない重度の障がい者。それが段々、歩けるようになり、話せるようになり、成長して行く。これが高齢者になると目が衰え、歩く機能も衰えて行く。むしろ障がいが定型かもしれない。できる事を中心にすると、赤ちゃんや高齢者は働けない。そこにいるということが基本的に神の恵みである。ここに目を置いて宣教することが大事。

和田山の真生園に重度の障がい者がおられて、話をした。「全然だめだという人は、いねぇ。ご飯にする?みそ汁にする?」。何回も聞く。三か月毎日。その内に、目で選択できるようになってきた。それまで、この子は重度の障がいで判断ができないとみんな思っていた。私たちはその人が持っている潜在の能力を見過ごしてきた。大きな反省。

もう一つ私は、キリスト教福祉をしてきて大きな反省は、重度の知的障がいで発作的に暴力をふるう女性がいた。それで私はありとあらゆる○○療法を試みて全部駄目だった。それが、震災で壊れて10人の小さな作業所を作った時に50人の所から移ったら、暴力行動がピタッとやんだ。自分と他者が交流できる人数の中で非常に心が休まった。何ということはない、この人は50人という中で作業すると、何をしても50分の一しか認められていない。50人相手にコミュニケーションとるのができない。10人だと落ち着いてできた。こんな簡単なことに気付かなかった。自分の専門なんて全然ないのだなと思った。ですから、その人の持っているキャパシティー、神様が与えて下さっているタレントは、みな違う。その人に合ったタレントを見つけ、その人に合う環境を作っていくことが大事。

私の息子、医者が与えた精神安定剤の薬を飲んで、医者から5年以上続けると内臓をやられると言われ、本人は5年で止めた。親も医者も気が付かなかったが、本人は計算している。薬で幻覚症状が出る。これも、私は専門家として駄目だと思った。私たちは解っているようで分かっていない。

共同生活するのは、家族の数くらいである。一人一人が受け入れられ、名前を呼び合えるくらいの人数。教会が小さいというのはいいこと。そういう細かいケアのできる教会は素晴らしい。その素晴らしさは、一人一人の魂を育める教会、そこが一番。弱さは恵みと言われる。パウロは自分の弱さを誇りと言ったが、チームで障がい者と一緒に歩む、牧会も簡単ではないが、あったらいいなと思っている。